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とりとめないことをつらつらかく!

勢いでかいた

私にとって大事なことなので書きたいと思います。

 

馬鹿なので、うまくいったことがあったとしても「うまくいった!ヤッピー!」ってなって、それでいつも終わりなんですけど、

 

論文なぜうまくいったか考えました。

いや、もちろん、周りの人がすごく協力的で応援してくれたこと、あとわたしのポジティブバカっぷりとか色々あるんですけど、出来ない自分を受け入れたからだなとなりました。

 

わたしは前のブログで具体策を最終的に書けなかったって書いたんですけど、実はクリスマスあたりまでは「もうその解決策がかけないなら私的にその論文は完璧じゃないから、自分の言いたいこととは違うけど、内容としては一個レベルを落とした結論を書いて、そのレベルで完璧な論文にしよう」って思ってたんですよね。

 

で、そう思っていた中で、個人的に色々あって、自己を省みる作業をし、ああ私ってすごいダメなやつなんだなって思ったし、そんなダメなやつが書いた論文なんて意味あるのかなとか、ダメな私が書いた論文ももれなくダメな論文だろうと思ってて。なんかもうダメだってなって。

 

でも、ポジティブバカだから最後まで諦めたくない気持ちもあって。そうなったときに何がなんだかもうわからなくなって、「どうせ私はダメだし、論文もダメだ!ダメだけど、ダメなりに努力したとこ見せるしかない、ダメなのが私なんだ」と思って開き直ったんですよね。

 

そう思ったら、なんか自分の書きたいようにのびのびかけたし、本当に自分が論文をやる中で考えたことが書けたなって。別に、論文は自分を表現したり、だしたりする場ではないんだと思うんだけど、それでも私らしさというか、わたしが出せたなって思う。

(諮問のまえに開き直りすぎだって言われたけど)

 

 

ダメな自分だから不安も沢山あったけど、「仕方ない、これがわたしなんだ」と思えたからうまくいったんだなって。。クリスマスまでの私は解決策を考えられないダメな自分を受け入れたくなかったから、きっと自分に嘘をついてまでワンランク下の内容で論文を出そうとしてたんだなと思う。開き直れたからこそ本当に考えたことが書けたし、完璧じゃないけど、ダメなりに真剣にやったことが伝わったのかなと思います。

 

負けず嫌いでポジティブバカな私にとって、ダメな自分を受け入れることはすごく難しくて、そういう自分を許すのはすごく難しいのだけれど、論文は私にとって、ただただ勉強としてやったこと以上に「ダメな自分を受け入れる」っていう大きなことを教えてくれて、しかもそれを実践できたという点において本当に私にとって財産になりました。

目標にしてた学長賞をとれたから、こう思うのかもしれないけど、でも、もし取れてなかったとしても、きっとワンランク下の内容にしなくて良かったって思ったと思う。後悔してないと思う。だって、賞を取れなくてもそれが私なんだもん。

 

論文のこといつまで振り返るんだよって話なのですが、私にとって論文はさっきも言ったけど、ただの勉強の一貫じゃなくてそれ以上のことを学ばせてくれたから、本当に宝物です。私はダメなところいっぱいあるけど、でも論文が自分にとってこんな大切な存在になったことがすごい嬉しいです。とっても幸せなことだと思います。また、ダメな私でも支えてくれた人がいてくれたことも素晴らしいことだなと思います。

 

私には何にもないけど、幸せなこと、沢山あるのかもしれないです。私がそれを見つけられてないだけなのかもしれない。

 

 

 

この文章、他人が読んだらなんのこっちゃって感じだと思うんですけど、それで良いのです。自己満だし、このブログは自分のメモだから。

(許してね。笑)