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とりとめないことをつらつらかく!

さいきんのこと。

これ、全然更新してなかったね。笑

 

大学卒業するとなかなか書けない〜。

 

 

書くことがないから更新しなかったわけではない。

なんだろ、なんか「ああこれ書きたいな〜」って思う出来事とかモノがあったとしても、良くも悪くも書きたいって思う気持ちとか、書きたいと思った事柄に対して、執着がなくなっちゃう。。。なくなっちゃうようになってきた。。笑

 

だから、なんか

 

すごい!

おもしろい!

うれしい!

悲しい!

むかつく!

 

とかそういう気持ちも長く自分の中に滞留しなくなったかんじがする。

 

ずっーと余韻を残すような出来事、気持ちってないな。

 

それだけ、身の回りにいろんなことがあって、良くも悪くも水に流しちゃうのか、それとも単に鈍くなったのか、、前者なのか後者なのかわからないけど。。

 

とにかく、いろんなことがスーッて過ぎ去ってくかんじ?

(全部が全部じゃないけどね。)

 

 

電車の中、暇なので久々に更新しました。

最近はアマゾンプライムで映画見てます。

楽し。

余白は美しい

なんで美術が好きなの?ってよく聞かれるんですけど、そのとき「永遠に全てわからないから好き」ってよく答えます。

美術はいつでもわたしに余白を残してくれる。知らないことを残してくれる。だから好き。
知らないことを教えてくれるから。

わからないことは美しいし、
余白は美しい。

でも、わからないことをどうやって「わからない」と認知することが出来るのかって言ったら、勉強したり、知ろうとしたりしないと「わからない」というのが認知出来ないと思います。

だって、勉強したり、知ろうとしたりしなかったらわからないことがわからないとおもうから。

美術はわからない部分、余白は美しい。

じゃあ人間はどうなのかなって思います。


自分のことが自分でわからない、他人が何を考えてるのかわからないっていうのは凄い怖いし、苦しいことだなと思います。

でも、自分に対しても、他者に対してのわからないことも、どちらに共通して言えることはそのわからないことにその人の本質があるのかなって思います。最近ね。

だから、そのわからないことがなぜわからないのか考えること、そのメカニズムを究明することその人の新しいところ、本質を知ろうとすること、理解しようとすることに繋がるのかなって思います。

だから、人間にとってもわからないことは美しいのかもしれません。人間の余白は美しいのかもしれない。
でも、その余白の中に潜っていくことは美術の余白と違って、苦しいことなのかもしれない。

そのことに気がついてたから私は人間の余白を見出すことを避けてたのかもしれないです。

 

今日は朝起きて、凄い疲れてて。もう嫌だな〜みたいな。

 

努力とかめんどくさいとか、報われないなら意味ないじゃんとか色々思ってて。馬鹿馬鹿しいみたいな。やってらんないなみたいな、投げやりな気持ち?

 

で、お昼休みに話を聞いてもらってスッキリした。頑張ったよって言ってもらえて嬉しかった。明日お礼言おうと思う。

 

あと、バンドが締めれるようになって、何か1つできるようになるのってこんなに嬉しいんだって思った

 

 

 

 

私は自分の感情を言葉にしたりとか、思うこととか色々あってもそれがどの感情に当てはまるのかわからない、感情の名称がわかんないから1日の感情を振り返ってみようと思ったから書いてみた。

 

勢いでかいた

私にとって大事なことなので書きたいと思います。

 

馬鹿なので、うまくいったことがあったとしても「うまくいった!ヤッピー!」ってなって、それでいつも終わりなんですけど、

 

論文なぜうまくいったか考えました。

いや、もちろん、周りの人がすごく協力的で応援してくれたこと、あとわたしのポジティブバカっぷりとか色々あるんですけど、出来ない自分を受け入れたからだなとなりました。

 

わたしは前のブログで具体策を最終的に書けなかったって書いたんですけど、実はクリスマスあたりまでは「もうその解決策がかけないなら私的にその論文は完璧じゃないから、自分の言いたいこととは違うけど、内容としては一個レベルを落とした結論を書いて、そのレベルで完璧な論文にしよう」って思ってたんですよね。

 

で、そう思っていた中で、個人的に色々あって、自己を省みる作業をし、ああ私ってすごいダメなやつなんだなって思ったし、そんなダメなやつが書いた論文なんて意味あるのかなとか、ダメな私が書いた論文ももれなくダメな論文だろうと思ってて。なんかもうダメだってなって。

 

でも、ポジティブバカだから最後まで諦めたくない気持ちもあって。そうなったときに何がなんだかもうわからなくなって、「どうせ私はダメだし、論文もダメだ!ダメだけど、ダメなりに努力したとこ見せるしかない、ダメなのが私なんだ」と思って開き直ったんですよね。

 

そう思ったら、なんか自分の書きたいようにのびのびかけたし、本当に自分が論文をやる中で考えたことが書けたなって。別に、論文は自分を表現したり、だしたりする場ではないんだと思うんだけど、それでも私らしさというか、わたしが出せたなって思う。

(諮問のまえに開き直りすぎだって言われたけど)

 

 

ダメな自分だから不安も沢山あったけど、「仕方ない、これがわたしなんだ」と思えたからうまくいったんだなって。。クリスマスまでの私は解決策を考えられないダメな自分を受け入れたくなかったから、きっと自分に嘘をついてまでワンランク下の内容で論文を出そうとしてたんだなと思う。開き直れたからこそ本当に考えたことが書けたし、完璧じゃないけど、ダメなりに真剣にやったことが伝わったのかなと思います。

 

負けず嫌いでポジティブバカな私にとって、ダメな自分を受け入れることはすごく難しくて、そういう自分を許すのはすごく難しいのだけれど、論文は私にとって、ただただ勉強としてやったこと以上に「ダメな自分を受け入れる」っていう大きなことを教えてくれて、しかもそれを実践できたという点において本当に私にとって財産になりました。

目標にしてた学長賞をとれたから、こう思うのかもしれないけど、でも、もし取れてなかったとしても、きっとワンランク下の内容にしなくて良かったって思ったと思う。後悔してないと思う。だって、賞を取れなくてもそれが私なんだもん。

 

論文のこといつまで振り返るんだよって話なのですが、私にとって論文はさっきも言ったけど、ただの勉強の一貫じゃなくてそれ以上のことを学ばせてくれたから、本当に宝物です。私はダメなところいっぱいあるけど、でも論文が自分にとってこんな大切な存在になったことがすごい嬉しいです。とっても幸せなことだと思います。また、ダメな私でも支えてくれた人がいてくれたことも素晴らしいことだなと思います。

 

私には何にもないけど、幸せなこと、沢山あるのかもしれないです。私がそれを見つけられてないだけなのかもしれない。

 

 

 

この文章、他人が読んだらなんのこっちゃって感じだと思うんですけど、それで良いのです。自己満だし、このブログは自分のメモだから。

(許してね。笑)

 

ポジティブバカ

昨日ブログを更新してる最中に熱を出したわけですが、ちょっと良くなりました。

 

知恵熱的なやつ??笑(調子乗りました)

 

 

 

最近自分の性格についてたくさん考えるんですけど、私ってポジティブバカなんですよね。ポジティブだけなら全然良いんだけど、ポジティブがいきすぎてバカなんですよね。

キマグレンの人が前ににしくじり先生でポジティブバカで人生しくじった話をしてて。あそこまでじゃないけど、なんか似たようなところあるよなって思います。

 

ポジティブバカ、わたしの場合ですが、根性論で全てをなんとかするので、現実を見なくて。それで、自分が傷ついてもそれに気がつかなかったり、気がついてても「気のせい、何とかなる!」ってしちゃったりするんですよね。

だいたい、なんとかならなかったときは全てが終わって時間が経つと自分が傷ついてることに気がつくんですよね。ポジティブバカだから必ずなんとかなると思ってるわけで、でも思っていたのになんとかならなかったときの自信の喪失感とか悔しさとか色々相まって「じゃあどうすれば良かったんだよ!」って最終的になっちゃう。(わたしあるある。笑)

 

でも、ポジティブバカのおかげで人生救われてる部分もたくさんある。今回の卒論に関してもそのポジティブバカのおかげで学長賞を取れたみたいなところもあるので、、ポジティブバカが完全に悪いのかと言われるとそうではなくて、物事なんでもそうなのだろうけど、良い面も悪い面もあるんですよね。だからポジティブバカについても、当たり前のように良い面も悪い面もあるのが事実。

うまくポジティブバカを使い分けられるようになるべきなんだなと思うけど、その使い分けってどうしたら上手くできるのかな?って思います。

 

 

 

 

とりあえず、ポジティブバカのせいで自分の生き方に限界がきてるなぁと思います。ポジティブバカはポジティブバカを自覚した瞬間に辛くなる。だって、ただのバカなんだもん。やっぱりバカはしんどいよ。周りの人も自分も。

 

あと、こんなこと今まで思ったことないけど、何かを乗り越えるとか、そういうのって基本めんどくさいし、疲れますよね。

でも、自分の悪いところは治したいってすっごい思ってる。

 

 

すぐハロプロの話しちゃうけど、ハロプロっぽく言ったら、「どうにかできるほど賢くない 傷つかないほどバカじゃない」ってことなんだなと思います。

(ももちの明日はもっと優しくなれる〜のところでいつも感動する笑)

 

 

完全に心が折れたわけではありませんが、ぐにゃりと曲がりつつあるので、愚痴みたいになってしまいましたが、今日は以上です。

 

卒論

 

卒論のことについて書きたいとおもいます。書きたいことたくさんあるので上手くまとめられるかわかりませんが。このブログのテーマは「とりとめないことつらつら書く」なので大目に見てね。

 

 

ひとまず、卒論そのもの、またアートフェアに対して。

結論から言うと、ずっとずっと目指していた学長賞をとれたこと、すごく嬉しいなと思います。本当に周りの人のおかげだなってすごく思います。ありがとうございます。

 

でも、私の卒論は、今の自分にできる精一杯のことはしたとは思うけど、今後アートフェアそのもの、またはホテル型アートフェアがどうしたら良くなるのかその具体策を書くことができなかったんですよね。

論文の「おわりに」の部分にも書いたけど、まあ具体策、解決策がわかってたら大学なんてとっくにやめてアートフェアやってるよねとも思います。。でも、やっぱ大学生のうちに出せたら理想だったよなとも思うし、そう思う反面、具体策、解決策がわからない自分が今の自分なんだなとも思います。

複雑な思いがあるけれど、卒業後働くからにはいつかその具体策絶対出したいと思います。がんばります。(あえてサラっと書きましたが、具体策を考えること、見つけること容易いことではないことわかってます。詳しくは卒論読んでください。)

 

そして、やり残してることばかりで何だかなあってかんじなのですが、口頭試問のとき先生に「ホテルの空間にアートがどう介入していくのか、どうしたらもっと介入できるのか?それをもっと考えて欲しかった」って言われて、確かになと思いました。アートフェアってすごく短期間のものなので、ホテルでフェアを行なっているあいだももちろんだけれど、フェアを行なっていない間にもっと日常的にホテルという空間にアートがどう介入できるのか、それはやっぱり考えなければダメだよなと思います。それを考えなかったらただフェアを行なってるだけになっちゃうよなって。まあ、ホテルの人からみたら押しつけがましいんじゃ!ボケェ!という話なのかもですが、でも、それでも重要。

 

あとは、うーん。私今回の論文で、ホテル型アートフェアの運営側の現状課題について触れたのですが、ずっと気になってることがあって。それはお客さんのこと。

フェアに来場してくださるお客さんが、アートフェアに対してどう思ってるのか。どんなことを考えてるのか。どんな人が多くて、どんなことをアートフェアにもとめてるのか。

それが本当はずっと気になってます。でも、研究していく中で、お客さん側のリサーチが進められるほど余裕がなくて、結局出来ずじまいでした。。

もう!!完全にやり残してる!!!でも、このやり残したことをできるのって大学生の今だけなのかな?って思ってる節があります。なので、密かにグーグルのアンケートで統計取ろうかなとか考えてます、実は。。。

 

モーニング娘。の曲で「笑顔の君は太陽さ」という曲があって、♪大人になってからも〜勉強は続く〜という歌詞があるのですがなんかまさにそんなかんじ。

卒論が終わってからもアートフェアの勉強したいと思うし、アートフェアの勉強は続いていくと思います。続けたい!

 

 

 

 

ってブログを書いてたら寒気してきて。笑

熱計ったら熱があったので、まだ書きたいことあったけれど、終わりにします。笑

 

熱下がりますように、、、 

卒論終わったからいっぱいブログ更新しよ。笑